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自由帳!

超・雑記ブログ!一昔前の、日々思った事を書くスタイル。

ネットの文章ってつまんないよね。

 

最近までネットの文章って「分かりやすくていい」と思ってた。

 

…が、オスカーワイルドの小説を読んで考えが変わった。

 

◾︎表現力

「批評家達が意見を異にするとき、芸術家は自分自身と一致している。
自分で賞賛しない限り、有用なモノを作った人間をわれわれは許す事ができる。
無用のものを作る唯一の口実は、本人がそれを絶賛する事である。
あらゆる芸術は、およそ無用のものである。」

 

こういうのが、400ページくらい続くわけ。

 

◾︎2000年代前半の物書き

雑誌でもなんでも、こういう「比喩表現が得意な人」ってのが、少なくなかったんですよ。

サッカーライターのジャック・ティベールとかね。

あとネットで流行ったのは「口述形式が超上手い人」。

「面白い喋り」をそのまま落とし込んだ表現方法が、ブログ人気の先駆けになってました。

現在でもフェルディナンドヤマグチ氏を筆頭に、お見かけする機会は多いです。

 

◾︎現在

混沌時代の「余白」みたいなのがなくなって、「形式ばった書き方」が尊ばれるようになりました。

いわく「分かりやすく」そして「見やすく」。

そこに「自分の意見を乗っける」。

…ん〜「文章的な面白さ」は、もうそこには「ない」んですね。

そして、それが何故か今「最も読まれているブログ」になっている。

かと言って、「人生の役に立つか?」ってーと、通常の「本を読んだ方がいい」という。

…ん?

 

◾︎なんか異常

今まで小説をずっと読んでなくて(10年前の吉川英治作品まで遡る)、オスカーワイルドを最近読んだから「意味が分かる」。

今のネットって異常。

橘玲、藤沢数希系統の「物語や発想で売る」のは、「読み物としての面白さ」で売れているのは分かる。

堀江貴文氏とか佐藤航陽氏、落合陽一氏のような「やってる事」「考えてる事自体が凄え」って場合も分かる。

小説家は、さらにそこから「表現力」をぶち当ててくるから、有名になるのも分かる。

…まあもう言っちゃおうか。

「俺らの文章って意味あんの?」

いや、主婦が出す「生活の知恵」とか「日々の料理」ってのが需要があるのは分かるのよ。

どんなの作ってるか気になるってのはあるだろうし、洗濯どうするとか、一般的な悩みに答える知恵ってのは共有したほうが便利。

しかしながら、このブログとか、某有名ブログみたいに「書評」とか「使った物」「思った事」とか書いても、「で?」としか言いようがないよね。

 

◾︎素人がブログをやるなら

唯一の使い方は、「好きなモノ」を凄え書いて、同じ趣味を持つ人達との交流に使う事。

これなら「自分が発信してる意味がある」し、自分をハブにした交流も生まれるしで、最高に楽しくなる。

 

◾︎まとめ

最近「文章の価値」ってダダ下がりだね。

ビジネス系はもう壊滅的で、スポーツもダメだし、個人ブログですらそう。

小説ですら「もって回った言い方」ってのが少なくなってるし、あんまり言葉遊びする事がなくなってしまった。

もう「そういう時代」なのかもね。

ネットに情報が出まくって便利になった反面、「芸術的なモノ」や「面白いもの」ってのに、偶然出会う機会が減ったという矛盾。

*ググれば出て来るけどね。

「面白いモノ」も「ドリフ」や「ミスタービーン」のような「本質的な面白さ」じゃなくて、取って付けたようなインスタントな面白さ(ユーチューバー系)ばっかだし。

 

唯一のプラス要素は、「趣味を好きに書く」とか、「ブログを通して交流したい」って人にとっては、ソーシャルと合わせて使う(TwitterInstagramとか)と、すぐに自分と合った人と繋がれて、幸せになれるようになった事。

この場合って「素人っぽい」ほうが「僕&私と同じ」って思ってもらえる確率が高くて親近感がわくし、メリットになり得る。

この場合は、「文章が面白いほどいい」のは確かだけど、「熱量が伝われば」それでいいという。

 

とりあえず、現在の心境としては「ネットの文章ってつまんないよね」で。

 

しばらく、オスカーワイルド節に浸ってくるわ〜♪