どう作るか?
合理的なものからの逸脱。それが一番美しいんだろうなあっていう価値観は、菅田(将暉)くんやDAOKOちゃんや(池田)エライザから教えてもらったような気がします。だから絶対に『BOOTLEG』を作り終わったからこそ“Lemon”に来れたんだろうなと思いますし、みんなに教えてもらった感覚はありますね
これは「CUT3月号」での「米津玄師×菅田将暉」のインタビューでの一幕。
最近マジでこれを感じてる。
◾︎合理性の限界
狙った場所へ向かって理論を組み立てる。
そして狙った通りの結果を出す。
確かにそれは「正しい」。
しかしながら、唯一の欠点がある。
「感情が掻き立てられない」。
…っつーのも最近、山歩きしてきたんだけど「行きたい場所の選択」ってのが、めちゃくちゃ非合理なのね。
一応ベストな道は決まってるんだけど、あっち行きたい、こっち行きたいって「凄く思う」。
合理的な選択をすれば、ベストな道が選べて失敗もせずにそこに辿り着ける。
だがしかし。
「感情は別の所へ行きたい」。
その場、その時に感じたモノに従って、気持ちいい方向へ行きたい。
たとえその結果が失敗だったとしても。
◾︎自分の選択
これを決めるのは「自分しかいない」。
他人の決めた「合理性」では、「気持ちいい事にたどり着けない」。
非合理な感覚、感情、空気…その場でその瞬間に感じる選択こそが「リアル」であり、その瞬間こそが「生きてると感じる」。
ああ、気持ちいい選択をしている…と。
◾︎自分で決めよう
全ての事を。
無精ながら筆者は精神病になったりなんだりした。
んで、それを治すために「合理的なもの」を徹底して追い求めた。
食事、運動、生活習慣、健康…おかげで「治った」。
だが、ここには「心が動くモノが無かった」。
本を読み、ひたすら実践し、独力で力をつける。
経過を自分で観察し、PDCAを回し、毎週良くなったり悪くなったりしながら進んでいく。
確かな進歩はあるが、しかし。
「感情が動かない」。
役に立つからやるだけであり、気持ちいいからではない。
その繰り返しだった。
なんせ、ここ数年で最も強く記憶に残っているのは「子供と一緒にバスケをした事」。
記憶に残る素晴らしいモノは合理性なんざ欠片もなく、無駄な時間とさえ言える中にあった。
とてもいい経験になった。
◾︎感情を起点にしよう
やりたい事をやろう。
本当にそう思う。
あなたが考える「合理性の先」は「結果しかない」ぞ。
楽しい!ワクワクする!感動する!ずっとこんなのが欲しかった!というものを体験するには「感情を起点とする必要がある」。
非合理でも、感情を追いかけよう。
◾︎芸術家とは?
「その感覚を形にできる人」。
音楽で言えば「米津玄師」であり「BUMP OF CHICKEN」である。
音も凄いけど、歌詞ヤベえから。
日常のすぐそこにある「感情」を切り取り、見事な表現でそこに具現化している。
歌ってみりゃ分かる。
「情景が思い浮かぶ」んだ。
いい曲は。
「灰色と青」とか、まあ凄えから。
友達を思い出したよ。
ファッションデザイナーも同じ。
「なんか良い」を形にする。
それは、実体験したものだけじゃなく、本を読んで得た感動だったり、小説や映画を見た感動であっても良い。
「イメージボード」というモノがある。
宮崎駿氏も使っているこれ。
要は作品の「漫然としたイメージ」をドンドン集めていく作業。
こういう人が出てきて、こういうキャラがいて、こういう世界観で〜という感じ。
アイデアや理想を形にするイメージボードの作り方 - | インスピ
こういう「自分の中のイメージ」を集めていって、気持ちいい表現に具現化する。
それには「自分が感動する事が必須」。
感動する感覚が分かんなきゃ、表現のしようがないからね。
故に「感性が鋭い」と言われる。
そして、感動を表現するために「合理性がいる」。
その表現をどう作るか?のために「表現する手法を知る必要がある」。
そのための合理性。
感情>手法
だ。
さて、あなたも自分の「気持ちいい」を集めてみよう♪
◾︎まとめ
非合理で行こう。
感情に素直になろう。
もちろん、適度な合理性はあった方がいい。
人を蝕む「砂糖」「加工食品」「運動不足」辺りと、「各種依存症の理由」辺りの理解は。
その先。
「本当に見たいもの」や「本当にしたい事」は、合理性を越えて行う。
「子供が欲しい」とか「こいつと結婚したい」って、理屈じゃないんだよね。
学者は「子孫を残すためだ」って言うけど、それで感情が最大に満たされるなら、それは合理的。
「その時の決断を自分でしていれば」後悔しない。
やりたい事をしよう。
感情が動く方に行動しよう。
では、楽しんでいきましょう♪