ファッションなんて「したくなければしなくていい」。
その辺を少し。
■姿はコミュニケーションツールであり、性格と連動しないと意味がない
例えば、「オタク気質な人」がいるとしよう。
あまり人と積極的に関わることをしない…というより「したくないタイプ」で、マイペースに好きなことをやってりゃ幸せな性格だとする。
そんな性格であれば、周りの目はあまり気にせず「自分が好きな服装」をするだろう。
例を出すと、V系やハーレー乗りの革ジャンなどの特殊でこだわりのある服装がそれ。
自分の「好き」をベースに作る。
もしくはファッションを全く気にしない。
真正のオタクであれば、服を買うお金で今ハマってるモノを買う。
*やたらバイクや車に金をかけて本人はみすぼらしいなどが代表的。
逆に、ファッションオタクなら服しか買わなくなる。
メシ代を削ってでも服を買う。
…何が言いたいのかというと、ここで重要なのは「したい事をして、その趣味趣向が身なりに反映されている」という事。
これがとても重要。
自分の性格で選んだことが姿に反映されている。
姿が性格の一端を表している。
すると周りの人がそれを見て「あの人、ああいう人なんだ」と「分かる」。
即ち、あなたの「姿」が「コミュニケーションツールになっている」。
●そんな人が量産型になってしまったら?
結論から言おう。
「性格と不一致になる」。
簡単に言うと「話したら違う性格だった」という感じになる。
ちなみに量産型とは「いま最も多くの人から支持されている服装」。
*量産型でググればその時の流行りが出てくる。
お洒落になるには「手っ取り早い方法」とされ、とりあえずお洒落に思われたいという人にオススメの服装。
しかしながら、これを選ぶと「普遍的なコミュ力がある」と判断される。
なぜならば、今の流行に合わせるくらいの空気読みの能力があり、突出したファッションをするほどの自己主張もないが、ファッションを着こなそうとする程度には周りの目が気になるから、量産型を選ぶ。
そんなある種の「無個性」が「量産型」。
逆に無個性であるが故に「話しやすく」「一定以上の性格の良さが見込める」。
もう分かるな?
もしオタク気質な人がそんな服装をしていたら、「その人も」「話しかけた人も」損をする。
見た目の印象から判断して話しかけているのに、全く違う性格だったら二度手間になるだけ。
無理せず自分に合った服装をしていれば避けられたモノが、周りに合わせたことによって無用な問題を引き寄せてしまう。
■重要なのは「それを好んで着ている」ということ
自分がそれを「好きで」「楽しんで」着ている事が必須。
なぜならば、それは「性格が服装に反映されている」から。
自分が好きな方向に努力をしていく。
その結果として「お洒落になる」こともあるし「お洒落にならないこともある」。
ファッションとは自分の性格を表した「結果」であり、結果だけ真似してもあなたの望むものは手に入らない。
自分の中から出た服装=自分が最もしたい服装をすることが、最も良い結果を得られる。
■このブログに書いてあるファッションは「俺が好きなファッション」
俺が「イタリアンクラシックの系統」が好きで、それを具現化するためにはどうしたらいいか?と延々試し続けてきた結果がこのブログ。
俺はドメニコ・ジャンフラーテ氏が本当にカッコいいと思うし、あの着こなしを自分流に取り入れるにはどうしたらいいかずっと試し続けてきた。
結果としてお洒落になってるとは思うが、それは結果であって、経緯ではない。
これが「俺のファッション」であり「俺の好きなファッション」。
ある種の俺の性格を具現化したモノだと思うし、自分が好きなモノを前面に押し出した結果がこの服装。
周りが見た時に受ける印象と、実際の俺との差は少ないと思われる。
■あなたは「あなたが好きな服装をすればいい」
ファッションに興味がないならしなくていいし、面倒なら量産型でもいい。
もし俺と同じように「ドメニコ・ジャンフラーテ超かっこいい!真似したい!」と思うなら、自然にお洒落になっていくだろう。
どういう選択をしようと、「好きなことをして欲しい」。
それが「あなたの趣味趣向を表すような形」で。
もしあなたがオタク気質な男性であれば、オタク気質な女性から見れば「話しやすい人」となる。
もちろん逆も然り。
オタク気質な女性は、オタク気質な男性から見れば「仲間だ」と感じる確率が上がる。
ファッションは自分の延長線上にあるものであり、自分と全く異なるモノに変身するモノではない。
自分と異なるモノになってしまったら、自分が本当に求めるモノとは出会えない。
「ファッションは自分が好きなモノをベースに作る」。
この大原則があってはじめて意味のあるものになる。
ファッションや他全てを、ぜひ「楽しんで」下さい。
自分が自然に楽しい事、好きなことこそを大事にしてあげて下さい。